ゲームの面白さの本質を考えてみた…が分かりません。
さて、私が考えるゲームの面白さの本質は、
* 操ること
* 体験すること
* 成長すること
の3つに絞られます。
多分大雑把にまとめればこの3つに集約されるんじゃないかなぁと思いつつも、とりあえず私の好きなゲーム*1を幾つか挙げてみて、好きな要因(?)を拾ってみる。
1. ウィザードリィ(マップ作成が楽しすぎる)
PC版しかプレイしてないので移植版はわかりませんが。方眼紙にひたすらマッピングしまくってた過去を思い出すと吐き気がするほど楽しいです(マゾ暴露)。alignmentがあるってのも個人的にはすごく衝撃を受けました。色んな種族が混在しているとはいえ、人間社会の本性と何も変わらないんだなーとか。
2. 黒の剣(ストーリーとグラフィック)
PC98で遊んでた頃にものすごい衝撃を受けたゲームでした。PSに移植されたと知ったのはここ最近の話で、まだプレイはしていませんが…。とにかくファミコン全盛期だった当時、このグラフィックの綺麗さには衝撃を受けました。今となっては(どんどん高グラフィックになってきているので)グラフィックが綺麗!という理由でプレイすることはなさそうですが、重めのストーリー展開にしては*2未だに好きなゲームの一つで、基本をしっかり抑えたRPGだと思います。
3. Mother2(世界観とキャラクターと音楽)
自転車に乗った時のネス(主人公)の表情が大好き、という意味不明な理由で私の大好きゲームNo1の地位を占め続けています。Map表示があったりHINT屋さんがいたりとヌルゲーマーにも優しく、キャラクター(ゲップーやバルーンモンキー、ダンジョン男にはすごい衝撃を受けた。)も面白い。動きがコミカルで可愛いのと、綺麗な音楽(特に8melodyが大好きです)に癒されます。ちなみにワープ失敗時の黒焦げ姿も可愛くていい。どせいさんなんかはMotherシリーズ未プレイの人でも知ってるくらいの知名度ですよね。
4. ファイヤーエムブレム(戦術の組み立てが楽しい)
周りの腐女子に絶大な人気を誇っていた気がします。当時にしてはイケメン揃いだったからなのかしら…。私はストーリーやキャラクターよりも、自分で戦術を立てて戦うというのがものすごく楽しかったです。ちなみに初めて縛りプレイ(魔法は一切使わない)を楽しんだのはこのゲームでした。ごごごごめんねマルク…!ナバールを経験点にしたのも今となってはいい思い出。
5. 東方風神録(緻密な設定、グラフィックと音楽)
シューティング系は極上パロディウスくらいしかやったことのない(あれは世界観が面白かった)私が、初めて弾幕を避ける事を楽しめるようになったゲーム。最初は綺麗な弾幕といい音楽に惹かれたものの、プレイし始めると「避けること」に集中できます。Easyのラスボスでぴちゅーんしまっくてる程度の腕ですが、始めた頃を思うと(リプレイ撮ってるとよくわかりますよね)自分の成長が見れて面白いです。
結論:楽しさは、人それぞれ。
私にとっての「ゲームの面白さの本質」というのは、その世界観に浸れる、その世界観を楽しめるものが多いみたいです。突き詰めるとゲームバランスの良いゲームってことなのかもしれませんが、ゲームバランスの良くないゲームでも楽しむことは出来ることを考えると、結局は遊び手次第ってことになるのかなぁ?
例えばファイヤーエムブレムのところで書いた縛りプレイって、大体のゲームに適用できると思うんですね(サウンドノベル系は無理だろうけど)。ウィザードリィでマップを書かないとか(自殺行為ですが、記憶力は良くなります)、Mother2でPKもしくはアイテムを使わない(これはそんなに難しくない)とか、東方でボムを使わない(今の私では即死ですが!)とか。
子供にゲームを与える時は「1本のソフトでどこまで遊べるか」を体験させてみようと思います。ゲームは他のおもちゃと何ら変わりはありません。一つの遊び方しか出来ないものでもありません。それを使って色んな遊びをさせる工夫をさせることが出来れば、ゲームも立派な教育になります。そしてそのためにも、私も一つのソフトでどこまで遊べるか、を色々試してみようと思います*3。ゲーム製作者が驚くような楽しみ方を見出せれば、それを取り込んでもっと楽しいゲームが提供されるようになるんじゃないかなぁとかね。
ちなみに(話が思いっきりずれましたが)ゲームの面白さの本質を考えてみる - 青春スイーツで挙げられてる「操ること、体験すること、成長すること」は私にとってはまだ過程というか何というか。操ることが出来ないと東方風神録では先のステージへは進めないし、体験しないと雑魚敵でも強さは分からない。そして、成長しないと主人公はラスボスに勝つことが出来ないんですよね。ゲーム慣れしてきたら、今度はそっち方面に楽しさを見出すようになるのかもしれませんが*4、今の私はまだまだゲーム自体を楽しむ余裕しかありません。
成長する楽しさというのは、ゲームで味わうのが手っ取り早いと聞いたことがあります。それは現実世界で「自分の成長」を感じる機会が少ないということなのかもしれません。それでも成長する楽しさを、何より現実世界で知って行きたいと思うのは無謀なことなんですかね?
本日の爆笑。
773 名無しじゃなきゃダメなのぉ! [sage] Date:2008/01/07(月) 19:23:38 id:nypPukMo Be:
混乱したときに限って全力を発揮して殺し合うのはなぜなんだぜ774 名無しじゃなきゃダメなのぉ! [sage] Date:2008/01/07(月) 19:26:41 ID:7OgQcLN1 Be:
>>773 混乱してコントロールが効かなくなるとかじゃね?775 名無しじゃなきゃダメなのぉ! [sage] Date:2008/01/07(月) 19:30:12 id:cBhJpsnE Be:
そらおまえだって同僚をマジぶっ殺したいときあるだろ? 混乱してついそういう鬱積した想いがキリングモードにでちゃうんだよきっと
本当になぜなんだぜ?
物質的な豊かさ、精神的な豊かさ。
「モノが豊かになって心が貧しくなった」を小さく実感 :Heartlogicを読んで取りとめもなく考えたこと。
今の社会は、物質的な豊かさによって支えられている部分が大きい。だからこそ私は、物質的な豊かさを出来るだけ肯定的に捕らえて行きたい。その為には、教育やコミュニケーションをしっかり考えていく必要があるんじゃないだろうか。
だから、おもちゃが多いから奪い合いでケンカになることが(あまり)ない。これはまあ良いことだろう。その一方で、ケンカを避けるためにコミュニケーションを取ろう、という工夫も必要なくなるので、親にとっても子どもにとってもコミュニケーションの機会が減る。お手軽なかわりに孤独である。
元記事を読んだ最初の感想は「ああ、それって寂しいなぁ」だった。喧嘩をしないということはいいことなのかもしれないけど、それでも喧嘩から学べることは意外に多いし、人は触れ合ったり衝突したりを繰り返して、コミュニケーション能力を育てていくものなんじゃないかと。でももう一度読み返して思ったことは「日常と非日常を一緒に考えちゃダメだな」ってこと。つまり元記事はおもちゃ王国での感想を書いているわけなんだけど、それって一応非日常に分類していいと思うんですよね*1。
子どもの発達段階に合わせておもちゃを選びたいときにどんなおもちゃを遊べるか試したいとか、どんなおもちゃを気に入るのか実際に触らせてみたい、といった向きに、「おもちゃの王国」はとても良い場所だと思う。参入しているメーカー各社もそういった「お試しスペース」的な使われ方を想定しているのだろうし。
の部分でも分かるように「お試しスペース」的な想定で作られている場所なのだから、沢山のおもちゃがあって、それを試してみるためにある場所だと割り切れば、おもちゃの奪い合いなんかは寧ろない方がいいんですよね。
必要なのは日常生活でのコミュニケーション。
生活にゆとりがあって、子供が欲しがるものを全て買い与えてあげられる親というのは、そんなに多くないと思います。だからこそ、おもちゃ王国で色んなおもちゃに触れさせて、その中から本当に欲しいものを選ばせてみることも教育であり、コミュニケーションなんじゃないのかなと。怖いのは、あふれる「モノ」に埋もれて、大切なことが見えなくなってしまうことであって、モノが豊かになったということは、単純に選択肢が増えたという喜ばしい事なんですよね。
子供同士がおもちゃを取り合って喧嘩するのは、従兄弟同士やご近所同士内などの日常生活の中で行われればいいんだと思います。親と子供のコミュニケーションは子供同士の喧嘩がなくたって(例えば子供が遊んでるおもちゃに対して、そのおもちゃでどういう遊び方が出来るかを色々考えてみるとか)十分に育めます。もし他の子供達とのコミュニケーションを通じて子供を成長させたいのならば、おもちゃ王国よりも公園なんかに連れてってあげればいいんじゃないかな、とか。
人は、珍しいものには敏感です。
沢山のおもちゃがある中でも、レアなおもちゃを見つければ触れてみたいと思うのは当然なんじゃないかなと。確かにワガママに見えるかもしれないけど、せっかく珍しいものがあるのだからどんどん触れさせてあげればいいんだと思う。その中で順番を守るだとか、ある程度遊んだら他の子に代わってあげるとか、そういうコミュニケーション能力(?)を伸ばしてあげれば。
物質的に豊かになったことを、あまり否定的に捕らえるのはやめませんか。選択肢はいつだって多い方がいいはずです。その為に「視野を広げる」ことを教えたりもしてるはずです。大切なのはあふれるモノに埋もれてしまわないことと、沢山のモノから沢山のコトを見つけ出していく目を養うこと。そして、そういう教育の出来る親に、自分も成長すること、だと思います。
精神的な豊かさは、物質的な豊かさと、決して反比例するものではないと思います。そして比例するかどうかはその人次第だとも。
*1:毎日の生活とはちょっと違うという意味です。
高精細なグラフィックや壮大なストーリー「だけ」では買う気がしない。
痛いニュース(ノ∀`):任天堂社長「高精細なグラフィックや壮大なストーリーではゲーム人口は増えない」や、その元記事を読んで思ったこと。
グラフィック(そして音楽)は良いに越したことはない。
東方風神録が高繊細なグラフィックに当てはまるのかどうか、がまず疑問なんですが(ほとんどゲームを知らない子なので、その辺の定義?がわかりません)私はこのゲームが大好きです。弾幕シューティングはどちらかというと苦手で、できれば避けて通りたい部類なのですが、このシリーズだけは末永く続いて欲しいと思うくらい。とにかく弾幕が綺麗。そして音楽がすごくいい。シューティングゲームとして一番惹かれた理由は「避けられる気がしないほどの弾幕なのに、ちゃんと避けられるように出来ている」部分なのですが、それに綺麗な弾幕と音楽が拍車をかけています。つまり、同じゲームならグラフィックがいいに越したことはないと思うんですよね。
同じように、ストーリーも良いに越したことはない。
私がこの世で一番愛してるゲームがMother2なんですが、キャラクターやネーミングセンス、音楽やデザイン等、愛され要素は色々あれど、後発のMother3よりも2が好き!って思える点はやはりストーリーが良かったからです。そして、ストーリーの見せ方がとても上手だったから。
結局は見せ方と使い方。
例えば壮大なストーリーや高繊細グラフィックと聞いて思い浮かぶのはFF10なのですが、私、あれ、途中でやめたんですよね。というのも、頻繁にムービーが割り込んできて、何か映画を見せられてるような気分になったから。確かに映像が綺麗だったのは分かるけど、私はゲームをしたいのであって、ゲームを見たいわけじゃなかったんですよ。なので、まずムービーありきでストーリーを進められてしまうゲームは、いまいち好きになれません。ムービー見るなら映画見るよ!とか思っちゃう。
でも東方風神録なんかは高繊細グラフィック(と、私は思ってる)を維持して欲しい。そしてあの絶妙な音楽も維持して欲しい。一番の決め手は「きちんと避けられる製作者のコダワリ」ですが、グラフィックと音楽の魅力がなければ購買意欲は半減するかも。やっぱしソフトは一種のバランスだよなぁ。
DSとWiiが売れた理由に関しては
- ハードの値段設定が絶妙(プレゼントしやすい値段)
- Wiiは家族で遊べる。
- DSは持ち運べて気軽に出来る(ソフト次第でマルチも可能)
ライトユーザに向いてるソフトが多いとか、そういうのは後回しとして(今後どうなるか分からないため)ヘビーユーザは据え置きでも高くても欲しけりゃ買いますが、ライトユーザは空き時間に気軽にやれてそこそこの値段だったら、初めて「じゃあ買ってみるか」になると思うんですよね。その中でもWiiは体感ゲーム(未だにWii Sportsの盛り上がり度は異常/家族で出来る)系に、NDSは持ち運んで手軽にプレイ(閉じたらスリープの手軽さは異常/友人と出来る)系に分裂してるので、そりゃどっちも売れるよなぁ、とか。
余談:先日、NDSを買おうか迷ってるという人に逢いました。
何が出来るのかさっぱりわからないけど、FF4がやりたいので欲しい。でも店員さんには恥ずかしくて聞けない*1。ということで、なぜかのほほんとDSやってた私が声をかけられたわけですが。
据え置き機しか買ったことがないので、携帯ゲーム機のアレコレが分からなかったそうです。FF4をやるために何が必要なのかもさっぱり分からず、微妙に途方にくれてました。4,50代の方だったので、アクセサリが色々出てると混乱するんでしょうね。本体とカートリッジはともかく、セーブ用のカードはどれなのかとか*2、インターネット環境がないとダメなのかとか*3、素朴な質問を色々されました。
自分のDSを見せながら色々説明してたんですが、ちょうど世界樹の迷宮をやってた(しかもマップ書いてた)ところだったので、その質問とかもされまして。ダンジョンRPG大好きな方だったらしく、本体とFF4、ついでに世界樹の迷宮を買って帰りますーとか言っていそいそと去っていきました。「今は方眼紙要らないんだね!」という台詞に感銘を受けた私もWizファンです。おじさまがんばれ!応援してるよ!
あ、任天堂の人は私を褒めてくれるといいと思います。
大吉を引きました。
今年も良い年になりますように。
面白かったのは
大吉なんだけど、恋愛面が軒並みよろしくない感じ。
- 恋愛:一線を越えるな。
- 縁談:初めの縁は整い難し後の方早く叶う。
彼氏さんに向かって「今回は御縁がなかったということで…」って言ったら新年早々怒られました。だ、だっておみくじがそう告げて…!
あけましておめでとうございます。
お雑煮を食べて初詣に行ってきました。明日も神社巡りの予定なので、御神籤なんかはまた明日。彼氏さんと彼氏さんの友人が遊びにきてくれたので、夕食を一緒に食べてFFCCの対戦とかして遊んでみる。戴いた年賀状のお返事を書かなきゃなー。世界樹の迷宮、一応クリア。第二段階のスタートと共にメインパーティ5人を休養させて振り直し。一新したので使い勝手が気になるところ。
今年の抱負とか目標とか。
- きちんと寝て、きちんと起きる。
- きちんと食べる(毎日一個はフルーツを食べるようにする)
- 適度な運動をする(ストレッチ然り、スポーツ然り)
- 毎日なんらかの日記(手帳、もしくはローカル)を書く。
- 家計簿(未婚なのでお小遣い帖的なアレだけど)をちゃんと記入する。
- 下調べを徹底して、予定をしっかり立てる。
- 時間前行動をする。
- 仕事は予定通りこなす。
- 感情より理性を優先させる。
もうちょっと健康的、かつスポーティになりたい。
昨年はやたらゲームづいてる一年でした。彼氏さんがゲーム大好きっ子とはいえ影響されすぎ。空いた時間にやるのはともかく、睡眠時間を削ったりしてちゃダメだね。引きこもり癖は前からだけど、最近特に休日の外出をしなくなった。ゲームもいいけど、自転車買ってプラプラしたいなー。
あと、食材を結構貰ったりするわりに料理が後回しになりがち。しっかり作ってしっかり食べようと決意。にしても食材戴きすぎです…これでも一人暮らしなのに…。じゃがいもとかおもちとかもっさり貰ったので頑張って消費しなきゃー。
ネット上にあまり知り合いいないのですが。
今年もよろしくお願いします。
このビビリ症を何とかせねば。
世界樹の迷宮、ようやくB20Fに到達しました。メインパーティはフロントにソドマン/パラ子/レンジャイ、バックにメディ子/ケミ男です。現在のレベルは全員56あたりです。じわじわ進める派なんで、多分そんなに苦戦を強いられるレベルではないとおもうんですが、うようよ蠢いてるFOEにびびりまくりで腰がひけてガクブルですよおねーさん!無理だから!絶対乱交パーティになるの目に見えてるから!ちょ、もっとレベル上げてきていいかなー!!(プレイヤー涙目)
最近購入した会社の先輩が、既にクリアしたとの話。
はわわわ言ってる私のDSを覗き込んで「そこ、俺45レベルで通過したから大丈夫だって」とかのたまりました。いやいやネタバレすんなって!通過ってことはまだ続くってことじゃないですか!ええーB20Fで最後になれーって思ってたのにやっぱり甘いんですか!(そうだよねー。なんとなくアレとかアレとかアレとか挙動不審にもほどがあるし…)
私「やっぱりレベルあげなおしt」
先輩「お前に足りないのは鉄砲玉根性だ!」
私「…」
先輩「全滅にびびってちゃ先に進めないよ?」
私「先輩、B20Fまでに何度全滅しました?」
先輩「…いやまぁ念には念を入れたほうがいいかもなぁ(遠くを見る)」
ああ、言えないくらい(もしくは覚えてないくらい)hageたんですね…。
全滅するのが恥ずかしいわけではなく。
巻き戻るとやる気萎えちゃうんですよね。ああまたやり直しだ…みたいな。*1いや、クリアしたときの達成感はあるんだろうけど私はそんなにマゾくないんだって。いい思い出だなーって振り返れるのはクリアした後でしょ?挑戦中にそんなこと考えてニヤけられるほど人間できてないんだよおおおお!
で、思ったこと。
例えばゲームじゃなくて現実世界の中では、どっちかって言うと鉄砲玉人生なんですよね。新しく買った物に傷がついても「ああ、いい思い出になるなー」的な思考回路をしてます。なのにどうしてことゲームとなるとこうなのか。
多分対人世界じゃないから完璧主義に磨きがかかるんじゃないかなぁ。
私、多分ものすごい完璧主義者なんですよね。ミスを許さないわけじゃなく、一度したミスを繰り返すのに対してすごく敏感っていうか。ただ、対人世界(現実社会)では完璧ってあまり存在しなくて、相手によって動きが変わるじゃないですか*2。だから現実世界では適度にのほほーんとしてられるのかも。
そう考えたら娯楽が息抜きになってなさそうに思えてきたけど、純粋に楽しんでるのでその辺は問題ないのかなー。うーん、もうちょっとゆるくやりたい…というわけでちょっと乱交パーティでhageてきます。