A/n

昔、彼女が言っていた。

幸せを願う気持ちは嘘じゃないのに、不幸になってしまえと思う気持ちも存在する。大声で文句を言いたいけど、全てを曝け出してしまったところで誰も幸せにならない。結局全ては嘘だったんじゃないかと泣き喚くことは簡単だけど、本当に全てが嘘だったかどうかなんて本人にしか分かるわけがない。嘘だったよと言われても、嘘じゃなかったよと言われても、それを信じられるわけがない以上、そんなやり取りは無意味でしかない。

それに私は、そうする事で、結局自分が後悔する事を知っている。誰かを不幸にしたいわけじゃない。吐き捨てたところで気分が晴れるわけでもない。そもそも私が叫んだところで、あなたの不幸オーラや構ってちゃんオーラが消えることはないでしょう。だからどうしてそんな事をしたのかと、後で自分を責めるだけで終わってしまうんだ。

「何も言えなくなるんです。」と、昔、彼女が言っていた。「プラスを見つけたら、同時にマイナスも見つけてしまうから。だから私は、何も言えなくなるんです。」と。その気持ちがとてもよく分かるのは、私も同じだったから。

他人とのコミュニケーションにおいて、きっと正解は1つではない。それは、全ての感情を的確に言葉で表現するのが難しいからだ。語彙が多い・少ないの差もあるかもしれないし、そもそもその感情に当てはまる言葉が“まだ存在していない”のかもしれない。もしくは、その時は本当にそう思っていた(と思う)けど、“今となっては分からない”のかもしれない。ただの嘘も存在するし、純粋な本音も存在する。そんなものがぐるぐる混ざった心を抱えて、きっと人は生きている。だから、答えの出ない問題は数多く存在する。そして、答えが出ないのを分かっていてもやりきれない感情の塊も存在する。

相手の言ったことがどこまで本心なのか。どこまで額面通りに受け取ればよいのか。私はいつも迷う。カチンとくることを言われても、それを本当に本心で言っているのかを考えてしまって咄嗟に反論することが出来ない。そういう意味では“脊髄反射で暴言を吐ける人”さえも、たまに羨ましく思えたりもする。「そういうのよくないよ。」って言うのも、もちろん本心なんだけど。

カッとなって部屋をめちゃくちゃにすることが、私には出来ない。めちゃくちゃにした後の部屋の片付けを考えてしまい、きっと、ベッドに飛び込むくらいしか出来ない。だけどやっぱり、全てを投げ捨てて叫びたくなることはある。突き詰めて考えたらそれは、どんなに頑張っても届かない声があることを、改めて見せ付けられたからなのかもしれない。3年近く経って尚、絶妙のタイミングで浮かんでくるこの光景は何なのだろう。

矛盾した自分の気持ちを整理するのが難しくて、ああいっそ世界が滅んでしまえばいいと思うこともある。それでも死にたいとは思わないし、矛盾した自分を抱えて生きることに絶望はしていない。つらつら書いてみたけど、あなたが幸せならいいんだ。幸せになって欲しいのは、本当に嘘じゃないんだ。幸せになりたいと叫びながら、わざと自分から幸せを投げ捨ててるその態度に腹が立つんだ。そしてその意図を汲みきれてないだろう自分に、一番腹が立つんだ。